『イスラエル「8200部隊」』EPIC Partners マネージング・ディレクター 和久秀

イスラエル『8200部隊』

近年、シリコンバレーを凌ぐ勢いでスタートアップを輩出しているイスラエル。政治的な緊張を抱え、限られた資源しかもたない同国では、軍出身の起業家が多い。軍で身に付けられるスキルとは…。
ベールに包まれた機関について書いてみたい。

1990年代前半、Aは、大半のイスラエル国民と同じように高校卒業とともに国防軍に入隊した。ただし彼が配属されたのは、『8200部隊』(※1)と呼ばれるサイバーセキュリティと諜報活動を担当する精鋭チームである。両親にも詳細を話すことが許されない。与えられた任務は映画『ミッション:インポッシブル』さながらに、敵対する国家のコンピュータに侵入することであった。

8200部隊の存在は、10年ほど前まで公にされていなかったが、それでもイスラエル国民はAの噂を聞いていた。同部隊を離れた後、彼はクラウドを基盤とするウェブ開発プラットフォームで世界をリードする『α社』の共同創業者となった。「私と同世代の者に限っても、部隊にいた100人以上がスタートアップを立ち上げ、高値で売却しています。部隊では一室に10人編成のチームが入っていましたが、その後、全員が時価総額平均5億ドルの会社を興しています。」とAは言う。

 イスラエルは『スタートアップ国家』である。面積は2.2万平方キロメートル(日本の四国程度)で、人口は約934万人(2021年4月 イスラエル中央統計局)であるが、ナスダック上場企業はアメリカと中国に次いで多い。人口1人当たりでは世界のどの国よりも多くのベンチャー投資会社、スタートアップ企業、科学者、そして、IT専門家を擁しているのだ。その背景には8200部隊の存在がある。在籍者数は推定5000人。隊員はしばしば生死がかかる状況の下、わずかな指示のみで最新テクノロジーの開発を命じられる。つまり、イスラエルでは、何千人もの天才たちが各自複数の発明品を数十年にわたって作り続けているのだ

そんな背景から、8200部隊の出身者によって推定1000社以上が生み出されてきたのも不思議ではない。そして直近数年間だけでも、マイクロソフトが約3億2000万ドルでサイバーセキュリティ企業の「アダロム」を、フェイスブックが約1億5000万ドルでモバイルデータ解析企業の「オナボ」を買収している。

 

8200部隊の秘密

【上位1%のさらに“上位1%”】

8200部隊の前身は1948年のイスラエル独立宣言以前から存在した。それが1973年の第4次中東戦争後に8200部隊となり、各分隊が1つのスタートアップのように独立して行動するようになった。さらにIT産業の最新技術を国外に頼りきりでは危険だと、8200部隊が国内の研究開発のスタートアップ・ハブとなり、インターネット分野で役割を拡大させていった。イスラエルでは情報の90%は8200部隊がもたらし、同国諜報特務庁『モサド』にせよ、他の情報機関にせよ、同部隊なしに大きな作戦を遂行することはない。それほどに8200部隊の影響力は大きい。イスラエルでは、ほとんどの国民が、高校卒業後の18歳での兵役を義務付けられているが、8200部隊はそのうちの誰を採用しようが望みのままだ。高校在学中の理系の天才やハッカー向けの課外活動を利用して、早い段階から有望な新兵候補者の動向を追い始めることもある。

 「8200部隊は全国の上位1%の、そのまた上位1%を採用できるのです。」そう話すBは、1990年代後半に8200部隊に所属し、22歳までに同部隊の士官訓練校の教官になった。候補者を見つけると、部隊は時に半年以上もかけて、彼らに厳しい面接や試験、コミュニケーションや電子工学、アラビア語などの講義を課すという。

候補者は、面接を経て経歴のチェックを受けるが、数学やコンピュータ、外国語の技能はもちろん、真に求められるのは潜在能力であるという。それを測るのは、すばやい学習能力や変化への対応力、チームへの適応力、他者が不可能と見ることにも果敢に挑む姿勢などである。

例えば、Cは、「高校時代の私はひどい生徒でした」と話す。だが、8200部隊は卒業の2年前に彼に目を付けた。未開発の才能を認めたのだ。

 

限られたリソースでやりとげる

8200部隊のD元司令官は、80年代前半に与えられたある任務のことが今でも忘れられないと言う。
「予算3億ドルに値する仕事だが、君が使えるのは300万ドルだ」と上官は告げた。
「割けるリソースは3人だけ。未来を見て、何が必要になるか分析しろ」
除隊後、Dはイスラエル最大級の防衛用電子機器メーカーβ社に入社し、サイバー部門を創設した。
スタートアップ的なメンタリティは部隊全体に浸透している。「ひどい高校生」だったCも、最終的に敵国が発するシグナルを収集・解析し、情報に変えるチームの指揮を執るまでになった。リソースは乏しく、信じがたいほどの重圧がかかっていたと彼は言う。
「選択は私に委ねられていました。チップを1枚しか持たずに、ルーレットのテーブルについていたようなものです」と回想する。それでもたいていの場合、チームは何かしら価値あるものを創案した。
「時々、なぜ可能だったのだろうと考えることがあります。無茶苦茶な話ですから。ただ、完璧である必要はなかった。バグや欠陥があってもよかったし、システムを手動でリセットしたことも。ほかでは得られない魔法のような経験でした」とCは言う。
無垢な若者と情報の組み合わせは、武器になることもあるらしい。彼らに目もくらむような自由と責任を与えるシステムもまた同様だ。
「具体的に何をすべきかということは誰も教えてくれません。単に『問題はこれだ。解決してこい』と言われるだけです。それも厳しい期限付きで。だから我々は創作し、“起業家”的になるのです。」とCは言う。
8200部隊では、上官の決定が誤っていると思えば、末端の兵士が司令官と話すことさえできる。実際、Cは「国家の最上層にいる意思決定者たち」と電話で直接話したこともある。
「私は19歳でした。これまでの人生で、あれ以上の大きな責任と他者への影響力を持っていた時期はありません。」とCは回想する。

Eは数カ月にわたる最初の軍事教練を終えると、8200部隊の中でもさらに極秘のグループである81部隊に配属された。人員数はおそらく、8200部隊の兵士の5分の1程度。このグループが力を注ぐのは、戦闘部隊の兵士に最新鋭のテクノロジーを供給することだ。
Eは当時の仲間のことを、こう振りかえる。
「とにかく優秀でした。私と同様に15歳で大学教育を受け始めた人々で、3つの学位を同時に取得した者もいました」と。
81部隊の生みだすソリューションにはイスラエル国民の命がかかっていて、そのことが彼らのなかに金銭には代えられないモチベーションを生んでいる。
「人の生死がかかった課題です。解決する以外に道はないーそう理解した瞬間に、私たちの行動のすべてが大きな意味を持ち始めます。あとはアドレナリンの力でやるだけです」とEは回想する。
24〜48時間シフトの「特務作戦」に就いたこともある。共に戦った仲間は家族のような存在になっていった。
現在、Eはγ社を共同創業し、顧客定着率の予想データを提供している。会社に加わった8200部隊出身者たちは、現在も、アドレナリンに突き動かされ、家族のように仕事に当たっている。Eは軍務についていた日々のことを次のように回想する。
「任務が失敗しても犯人探しをすることなどなく、チーム全員で責めを受けました。勝利は全員の勝利、敗北は全員の敗北。チームで世界と対峙していたのです。勝つか死ぬかですよ。リスクをとることを怖いとは思いません。以前は、もっとずっと大きなリスクを負っていたのですから」とEは言う。

Fはサイバーセキュリティのインキュベーション企業の共同創業者兼CEOだ。Fは8200部隊の司令官を5年間務めたあと、2013年に除隊。在任中にはサイバー空間の戦いに目を光らせる精鋭チーム『サイバー・コマンド』を創設した。
彼は部隊の流動性を評価している。兵役期間は平均4年だが、この最先端の技術部隊でも毎年25%ずつ人員が入れ替わる。一般の大企業ならギョッとするような数字だが、動きの速いITの世界ではこれが大きなメリットになると、Fは主張する。
「毎年若さと賢さ、やる気と情熱を持った男女が入ってくるのです。新たな視点から課題に目を向ける者たちがね」とFは言う。
また8200部隊の除隊者は、他の在郷軍人と同様40代前半まで、年間最大3週間の予備役を務める。除隊後も10〜20年にわたって後輩が開発する最新テクノロジーに触れることができるのだ。時には8200部隊自体が、優秀な隊員の起業を支援するインキュベーターの役割を引き受けることもある。イスラエル経済にとっては、雇用や富が創出される上に、国内のIT技術者に一定の刺激を与えることにもなっている。

【8200部隊の人脈が企業をつくる】

Gは8200部隊で25年間を過ごしたあと、医療画像用のソフトウェアを作る会社を起業した。
「8200部隊で得たものがなかったら、起業するのは難しかっただろうと思います。」とGは言う。Gの会社が最終的にコダックに買収された時、社員の3分の1は8200部隊のOBだった。
スタートアップ国家のイスラエルでは8200部隊OBのネットワークを過小評価することはできない。Gは、8200部隊で除隊を間近に控える者を1人つかまえ、そこから情報を得てさらにメンバーを勧誘するという。これこそが確実に、優秀な人材を採用する方法なのだ。
「彼らは一定水準の自信とスキルを兼ね備えています。また、24歳の彼らは5〜6年にわたり、現実世界で、任務に即したシステムや製造物やシナリオを扱っています。理論ではなく、実践をこなしてきたのです」と、Gは言う。

筆者は、2年前にイスラエル政府高官の言っていた一言が忘れられない。「イスラエルのベンチャー企業の多くは『軍部の出先』です。」との一言である。

 

※1:8200部隊(Unit 8200)/イスラエル諜報機関。独立以前から存在した「シンメン2(ヘブライ語で「新たな軍務」)」が1973年の第4次中東戦争後に再編成され生まれたIT産業研究開発のハブ。実態はほとんど知られていないが、イスラエル軍の情報作戦には欠かせない諜報機関。

 

 

【執筆者プロフィール】
和久 秀 Shigeru WAKU
EPIC Partners株式会社 マネージング・ディレクター。
MBA(Harvard Business School)、Ph,D(一橋大学大学院国際企業戦略研究科経営法務専攻)
一橋大学法学部第三課程を卒業後、国内大手広告代理店に入社し、マーケティングプロモーション・セールスプロモーションの企画立案及び調査、海外広告の営業・企画立案・プロデュース、経営企画・IR・M&A・法務に携わる。また、財務省に出向し、財務総合政策研究所にて、チーフエコノミストとして、マクロ経済及び地政学リスクの研究・分析に従事。その後、⻘山学院大学と筑波大学大学院でビジネス法務に係る教鞭を取り、現在は、筑波大学大学院で博士前期課程の学生の指導に当たる。2018年1月からは、M&Aアドバイザリーファームに入社し、コーポレートファイナンス本部⻑として、資金調達や海外IPOの支援を行う。2018年4月からは、一橋大学大学院法学研究科でビジネスローの特任教授も兼任。2019年1月からは、不動産投資会社にて、全社の経営企画及び M&A、IR 業務を担う。

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